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エッセイ

教育の方向

2005年9月1日 宮古新報社「島の彩」掲載より

生まれてから小学校に入学するまで私は、宮古島のナナバリ部落に住んでいた。木がうっそうと茂り緑が多く鮮やかな色の蝶や鳥たちがいっぱい飛んでいた。沢山の生き物たちと一緒になって走り回り転んだり起きたりして楽しく遊んだ。
カマキリ、コーモリ、蜂、ヤモリ、蟻、コーロギ、カタツムリ、蛇などもいた。人に危害を加えない蛇なのに私は幼稚だった。蛇のしっぽをつかんで振り回し、地面に叩き付けて蛇をいじめた。冒険の毎日だった。蜂に刺されて目が腫れ上り視界が狭く、もう治らないと思い涙を流した。カマキリのノコギリのような脚に指を挟まれたこともあった。好奇心旺盛の私だった。自然は私の先生だった。沢山のことを経験させてくれ物事の善悪を教えてくれた。
しかし、このナナバリ部落は軍の命令で強制立ち退き。先生である自然環境が破壊され海軍飛行場にされた。戦争だ。戦争は自然破壊である。
私の家は、鏡原小学校の東隣に引っ越した。日本の兵隊が、宮古島に三万人も押し掛けた。日本軍は、家の近くの地盛部落のウタキのそばに大砲や機関砲を備えた。鏡原小学校は、陸軍病院にされた。
飛行機の大群が宮古島上空に飛んで来た。日本の飛行機と思い、私は喜び馬小屋によじ登り、両手を上げて迎えた。一機が地上すれすれに降りて来てカタカタカタと音を立てた。陸軍病院でサイレンが鳴った。兵隊が「敵機来襲!」と叫び、母が屋根の上の私に「降りなさい!」と叫んだ。宮古島空襲の始まりである。
朝昼晩の爆撃。陸軍病院の満員の防空壕に爆弾命中。悲惨な現場。空中戦。艦砲射撃。
戦争が終わってから今年で六十年。宮古高等学校を卒業して東京へ来てから五十年。私の脳裏に六十年前の宮古島が、そのまま脳裏に焼きついて、二度と戦争をしてはならないと警告。
しかし、政府は、憲法九条を改悪しようとしている。武器は持たないを武器は持つに、戦争はしないを戦争はするに。アメリカの要求だろうが、ダメはダメと、はっきり発言できるのが民主主義。話し合いや教育で平和は創れる。武力では創れない。
平和を創る教育「軍隊をすてた国」コスタリカの子どもたち、著者・早乙女愛足立力也、岩波ブックレットより簡潔にしながら抜粋する。
コスタリカは国家予算の四分の一を教育費に当てる。子どもたちに平和文化教育を実施。識字率九五%と世界有数。自然保護の先進国、国土の四分の一以上が国立公園や自然保護区、エコ・ツーリズムのメッカとして有名。人口は三八〇万。全動植物種の四%、鳥類八%がコスタリカに棲む。小学校の授業で、平和、民主主義、人権、環境、現代社会を構成する基本的な価値観を教える。コスタリカの少女が語る「民主主義的じゃないと社会は平和でないということは当たり前。自分の意見をちゃんと言えないってことは、圧力があるってことでしょ? それは人権侵害でもあるじゃない。それから、環境が悪いと社会も悪くなるでしょ? だいいち、環境破壊は自然破壊でもあるから、自然の破壊が進むと少ない自然をめぐって争いが起きるじゃない。だから、環境問題もちゃんと考えなきゃね」
先生が生徒に質問「あなたたちの権利はなんですか?」生徒は口々に「遊ぶこと!」「愛されること!」コスタリカの子どもたちは権利について学ぶ。権利という言葉が出てくるのは、小学一年生の社会科。義務という言葉とともに登場。一年生で権利や義務について学ぶ。自然の中で遊ぶのは自分たちの権利。権利が侵害されるのは平和ではないと知っている。環境と平和の密接な関係。「平和の絵を描く」授業もあり多角的教育。例えば、宇宙や地球の創成期の話。私たちは地球をとりまく宇宙の中に生まれた。自然とは宇宙環境、それが適切な形であることが平和の条件。「不自然に」人間がそれを犯すのは、平和を侵すこと。
日本は、戦前の愛国心教育に戻るよりも、宇宙と自分とのつながりの法則を教えることが次世代を担う子どもたちへの愛の行為の方向と考える。

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