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エッセイ

教育か調教か

2005年7月7日 宮古新報社「島の彩」掲載より

心身両面にわたり個人のもつ能力を育成し、知識や技能を教え育て善良な人間にすることが教育であると考える。
明治時代から大正、昭和にかけての教育は?
戦前、鏡原小学校低学年の私は先生を尊敬するあまり先生は便所に行かないと思っていた。校長先生は空から降りて来ると思った。校長先生は朝礼の度に全校生徒の前で文章を読み、それを生徒に暗記させた。
「チンオモウニワガコウソコウソクニヲオサムルコトコウエンニトクヲタツルコトシンコウナリワガシンミンヨクチュウニヨクコウニオクチョウココロヲヒトツニシヨヨソノビヲナセルハコレワガコクタイノセイカニシテキョウイクノエンゲンマタジツニココニソンス…イッタンカンキュウアレバギユウコウニホウジモッテテンジョウムキュウノコウウンヲフヨウスベシ…ギョメイギョジ」
生徒は頭を垂れ直立不動である。
今思えばこれが「教育勅語」天皇神が国民を教育する言葉。だが命の大切さ、人権、平等、自由はない。いざ戦争になれば国のために死ねとの教育である。
この教育を考えながら私は靖国神社の灰色の大鳥居を潜り拝殿へと歩いた。黒板に白い文字が筆で書いてある。明治天皇御製。千萬の/民の力を/あつめなば/いかなるわざも/ならんむとぞおもふ。時代背景は、軍国主義、富国強兵である。
次に神風特攻隊の手紙が続く。

笑ってゆきます。(前略)…歸鐵の節…家も之からだとその隆昌眼に見えるやうでありました。その嬉しさで笑って別れてまいりましたが、今も又それ以上の晴々とした気持ちで笑ってゆきます。父上様母上様何時々迄もお元気で帝國の彌榮と彼等の前途を祝福して下さい。では征きます。両親にかくせしことも君故ぞ今ぞ侘びなむ秋は来にけり 忠三

享年二十歳。名誉の戦死が一番の勇気と教育された若者の死。人間とは? 自分とは?
何処から来て何処へ行くの? と考えるのが人間の一番の勇気であるが。
靖国神社敷地内に遊就館がある。遊就とは高潔な人物に就いて交わり学ぶの意。日露戦争百年展が遊就館で開催されていた。入り口でチラシとパンフレットを渡された。玄関ホールに日の丸の戦闘機実物が展示されている。空中戦で敵を何機も撃落したと自慢の説明。高射砲も展示。売店もある。戦闘帽、乾パン、戦争美化本、読売新聞などが販売されている。
パンフレットに乃木希典像、東郷平八郎像、山本五十六長官愛用双眼鏡、真珠湾九軍神写真、トラトラトラの電文、九七式中戦車、人間魚雷、鉄血勤皇隊遺書、女子挺身隊血染めの日章旗などがある。
チラシに東郷元帥軍服、乃木勝典指揮刀、大山元帥軍服と元帥徽章、三十年式歩兵銃と銃剣。
奥の会場から軍歌が流れる。ここでは戦後はない。戦前がある。宮古島での戦争の記憶が甦り、私は急ぎ足で遊就館を出た。
庭には特攻隊像、軍用犬像、軍馬像、伝書鳩像、大砲口、神池庭園などがある。
神社の本殿を囲む高い鉄柵の外側を左回りに歩く。二メートル程の間隔で植木がされ部隊名と植樹年月日が表示されている。その木々の多さに驚く。
樹の下に長いテーブルと椅子がある。腰掛ける。足元に塊が落下。注視。枯葉だが重い音だった。兵隊が無念の死を訴えるため枯葉になって来たかと寒気。靖国神社に祭るのは軍人、戦争指導者A級戦犯。百万余の民間犠牲者は祭らない。
スピーカーから夕焼小焼の童謡が流れる。日本唱歌「蛍の光」が甦る。この三番の結びに「国のためにつくせ」とあり、四番の歌詞の一節に沖縄がある。

千島のおくも/おきなわも/やしまのうちの/まもりなり/いたらんくにに/いさお/しく/つとめよ/わがせ/つつがなく

琉球処分は明治十二年。「蛍の光」発表は明治十四年。子どもたちの教化のために特に作り、天皇神国のために死ねと教育、いや、調教である。今の教育は? 問題山積。歴史教科書での沖縄戦、集団死歪曲もその一つ。平和で人権のある幸福な生活を希望する。

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