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エッセイ

和解への道

2005年5月19日 宮古新報社「島の彩」掲載より

宮古島で日本の兵隊たちが、像の鼻のような防毒面を被り行軍したが、兵隊の一人が落伍した。隊長が「貴様、これでも日本人か」と怒鳴り、軍靴で落伍兵の腹や背中を蹴り、短剣で殴打した。少年の私の目の前で起きた暴力である。
敗戦直後、青年が車に轢かれた道。前方から陸軍のトラックが、猛スピードで、道端に立ち止る私にハンドルを切った。私は畑に飛び込んだ。多くの日本兵が、トラックの上から、畑に転がる私を見て笑い手を叩き走り去った。敗戦に苛立つ日本兵の悪魔的な非人間性の蛮行である。
中国各地で数万の中国若者が暴徒化し、日本政府に激しく反発するデモがテレビ、新聞で報じられた。日本に対する怒りの原因は幾つもあるだろう。日本政府は中国侵略での略奪・放火・拷問・強姦・虐殺を認めず、正式な謝罪も、戦後六十年の今なお和解もない。このような国は国連安保理常任理事国入りにふさわしくない。歴史教科書歪曲。尖閣諸島領有権問題。A級戦犯合祀の靖国神社を小泉首相が4回も参拝したことで中国の怒りは増幅されてデモは燃え上がったのである。
過去の日本軍が、中国でどんなことをしたか、本で知っていたが、再確認のため、その本を本棚から取り出した。ページのあちこちに鉛筆で線を引いてある。その上の白いスペースには、ひどい、と幾つも書いてある。本は「南京への道」著者は本多勝一、朝日文庫。
この本に、今井正剛・元朝日新聞特派員の証言がある。スペースの関係で短縮することを、お許しください。
・・・「先生、大変です」アマに起された。日本兵が中国人を集めて殺しているという。その中に洋服屋の楊オヤジとセガレがいる。殺されてしまう。二人とも兵隊じゃない。アマの後ろに楊の女房が顔を涙だらけにしてオロオロしている。中村正吾特派員と私は飛び出した。空地を埋めて黒々と、四五百人の中国人の男たちがしゃがんでいる。黒煉瓦の塀に向って六人ずつの中国人が立つ。二三十歩離れた後から日本兵が小銃の一斉射撃、バッタリ倒れるのを飛びかかって、背中から銃剣でグサリ。うめきがひびき渡る。次、また六人。次々に射殺されてゆくのをしゃがみ込んだ四五百人の群れが、うつろな眼付で眺める。この放心、虚無、いったいこれは何か。そのまわりをとりかこんで、女や子供たちが茫然。顔をのぞき込めば、親や、夫や、兄弟や子供たちが、目の前で殺されてゆく恐怖と憎悪とに満ち満ちて、悲鳴や号泣もあげただろう。しかし、私の耳には、ババーンという銃声と、ぎゃあっ、という叫び声が耳にひろがり、カアッと斜めにさした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見えるだけだった。傍らに立つ軍曹にいった。「この中に兵隊じゃない者がいる。助けて下さい」。硬直した軍曹の顔。「洋服屋のオヤジとセガレです。僕たちが身柄は証明する」「どいつかわかるか」「わかる。女房がいる。呼べば出て来る」返事をまたずに楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼ぶ。オヤジと青年が飛び出して来た。「この二人。朝日の支局へ出入りする洋服屋。さあ、お前たち、早く帰れ」たちまち広場は総立ち。この先生に頼めば命が助かるという考えが、虚無と放心から解き放したのだろう。私たちの外套にすがって群衆が殺到。無言で頬をこわばらせる軍曹をあとに、私と中村君は空地を離れた。何度目かの銃声を背中にききながら。(235~239頁)
自分が、父が、兄弟が、先生が、親戚が、こんな殺されかたをされたら私はどうなるのか、考える、涙が流れるばかり・・・。国と国は異なっていても人間は人間じゃないか。
日本の敗戦を知らされて母は「天皇はこの方向」と定め大地にひれ伏して長々と拝んでいた。母は日本国民の一人として日本の敗北を天皇に謝罪したのだろう。母は皇民化教育、教育勅語に身も心も深く染められていたのだろう。今、思えば謝る必要はなかった。神と崇められていた天皇は戦後、自ら人間宣言をした。平和日本の誕生日である。日本は、千万人単位で中国の人を惨殺した。謝罪、賠償、和解を希望する。

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