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エッセイ

嘉手納にて

2005年3月17日 宮古新報社「島の彩」掲載より

嘉手納町に住む親戚の家を二度、訪問したことがある。四十五年ぶりに私が東京から沖縄に帰り、宮古の母校のガジマルの下で個展を開催した時と、浦添美術館で「平和への祈り」と題する私の美術展を開催した時だった。兄が車を運転して嘉手納町に連れて行ってくれた。おかげで親戚に挨拶することもできた。そして先祖の霊に手を合わせることもできた。
那覇から国道五十八号線を走る。その車の中から嘉手納基地のフェンスを眺めると、右向きの姿勢が長く続き、首や肩が張ってくる。所々に木が植えられており、フェンスがないように感じられるが、注意して見ていると、基地は延々と続いている。ここは、東アジア最大の米軍基地であり、甲子園球場の八百倍もある。四千メートルの滑走路が二本もあり、嘉手納町の総面積の八十三%が基地にされている。住民は狭い土地に、ひしめき合って生活している。
車の中で私はこんなことを思った。(この嘉手納米軍基地を、歩いて一周して見たい)と。
昨年の八月、夏休みに私は一人で嘉手納基地の安保の丘に行った。テレビ局の方が、三脚に取り付けた望遠レンズのカメラを基地に向けて撮影していた。彼と私は挨拶を交した。彼は私にこう言った。「ここにいると世界の状勢が解ります」「いつも、ここで、取材を?」と私が尋ねると、彼は、毎日ここで取材をしている、と答えた。
広大な嘉手納基地を目の前にして私は息を呑む。そしてこう思った。(朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に、爆撃機が飛び立ったこの基地。爆撃され、親兄弟を犠牲にされた民衆は、米軍基地のある沖縄を、悪魔の島と呼ぶ。過去の戦争で多くの人の命が犠牲にされた沖縄。命こそ宝である、と平和の宣言を続けて来た沖縄なのに)
地響きをともないジェット機が弾丸のように飛び立つ。押しつぶされそうな爆音。切り裂くような金属質の騒音が走る。全身が揺れ、内臓に響く。圧迫される鼓膜と心臓。息苦しい。これは暴力だ。戦争だ。沖縄の縮図だ。なぜこれほどまでに沖縄は、虐げられねばならないのか。
ジェット機が轟音で滑走路に着陸。地をなめるかのように滑る。車輪から煙を噴く二機のジェット機。消防車と大小九台の車が駆け付けるが、ジェット機に近寄らない。爆発の恐れがあるのか。子供たちやご婦人たちが見物に安保の丘へ駆け付ける。テレビ局の彼がこう言った。「二機も事故を起こす日は、めずらしく、滑走路に埋まる骨の力も、不思議です」
日が暮れる。みんな帰った。私は一人。振り向くと迷彩服の大きな米兵一人が私のそばに立っている。彼の顔は夕暮れに霞み目が異様に光る。「こんにちは」と私は挨拶した。彼も同じ言葉で返してきた。日本の警官が二人で来た。警官の一人が、私の名前を聞いた。名刺を手渡すと、彼は、表と裏とを見てから、絵描きさんですか、と言って、名刺を私に戻した。日米安保条約や、日米地位協定の問題点、さまざまな思いが交錯した。
停留所でバスを待つが、来ない。タクシーも通らない。背後の基地のフェンスの辺りでカエルが鳴く。先程のテレビ局の方の、埋まる骨の話を思い出す。
翌日は基地のフェンス沿いに歩いた。急に暗くなりスコールになった。ガジマルの下で雨宿り。私はずぶ濡れ。タクシーが目の前で停車する。
「どうぞ乗ってください」と運転手。
「座席が濡れてしまうので」と私。
「大丈夫。すぐ乾きます。どうぞ」と彼。
私は沖縄の優しい心に甘えた。コザの喫茶店の前で降ろしてくれた。コーヒーを飲み、雨が止むのを待って、外に出た。
カタツムリが基地に向って這っている。小さな白い蝶が、フェンスをくぐり、基地で隔てられたアメリカで飛び、日本で飛ぶ。同種の花も基地で咲き、沖縄で咲く。風も公平に吹き、空気も通う。太陽も平等に照らし、雲も流れ、雨も降る。自然は、愛に満ちて美しい。武器もフェンスも持たないから滅びない。鳩は、今日も大空を飛んでいる。

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