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エッセイ

僕の顔、他人の眼

1971年11月1日 話の特集11月号掲載より

日本橋にある高島屋宣伝部に勤めて、はや八年。デザイナーとは言っても所詮はサラリーマン、注文された通りに、ポスターや雑誌広告や新聞広告をデザインするのが、もっぱらの毎日である。気が付いてみると、もうとうに三十も過ぎ、人生七十年とするとそろそろ折り返し地点も目前。商売柄、常に新しいものへの好奇心を失わないよう、常に自ら変化を恐れぬよう心掛けてはいるものの、いざ我人生もコースの半分を走り切ったかと思うと、山でいうなら今までは人生の昇りで、これからはもっぱら下り道である。なんとなくマンネリぎみの毎日、ここら辺で、何か一区切りつけてはと思い始めていた。
そんなある日、人生を半分生き抜いたにしてはいささか童顔…。鏡の中の自分の顔をつらつらながめて思った、「ほう、髪の毛って奴はよくもこう伸びるものだ」。それまでの一年間おしゃれのつもりか、無精からか、髪の毛は伸ばし放題のロングヘアーだったのである。毎日毎日写真でも撮って記録でもとったら面白いだろうなあ。つまりこれは、ほんのちょっとした思いつき、突然の気まぐれに過ぎなかった。しかし、幸か不幸か、一度思い込んだら徹底的に思い込むのがぼくのやり方である。
その夜、蒲団の中で、考えをめぐらせるにますますこいつはいけそうだと思い始めた。カミソリで、ヘアーとヒゲをツルツルにしよう。そしてあとは一切手を加えないで、毎日写真で記録をとる。どうせ毎日写真を撮るからには、同じ場所で、同じ時間、同じアングルの方がいいな。どうせだ。同じ服装でいこう。ツルツルになるのは、三十四才の誕生日がいい。とは言え、迷いも同時に起こってくる。会社というワクの中で、やり通せるだろうか。クビになることだって考えられる。年老いた母は何と思うだろうか…。思えば思うほど、ツルツルにするしかない、やれやれ! クビになろうと、何といわれようと、絶対やるんだ、やるしかないと思うようになったのである。
会社の友人に話した。「よせよ、出世にかかわるぞ」「せっかくのロングヘアーをもったいないわ」「ますます人相がわるくなるぞ」反応は様々だったが、ほとんどが反対をした。デザイナーの吉田君も反対だった。「君も僕も職業柄、形には敏感なはずだ。その形の変化のプロセスを追ってみるんだ。そこから何かのクリエーティブなものへの原動力が生れて来るかも知れない。紙の上だけではなく、ぼくたちの行動、生き方そのものもデザインであるべきなのではないだろうか」彼は頷いてくれた。
昭和四十五年九月十九日、ぼくの三十四才の誕生日。前日に予約しておいた床屋でデザイナーの友人達に囲まれ、ぼくの髪にバリカンが入った。バリカンの通った跡に、グレーの地肌が現れ、カミソリが通ると白に変わって行った。社にもどると上司は別に何も言わないが女の子がキャーキャーさわいで触りに来る。退社時間が来るのを待ちかねて、早々に部屋を出た。道ですれ違う人がチラチラとぼくを見ては笑う。電車に乗ってもそうなのだ。早く家へ着けば……と思ってドアを開けたとたん、ぼくを見た家族が笑いころげた。何とも一日目からこれである。これから一年間のことを思うと……。

某月某日 朝の電車でBGらしき二人「あらツルツルが流行し始めたのかしら」友人曰く「昆布を食べろよ。毛の伸びが早いぞ」何故か食欲なし。「あらー、でヘアーはどうしたの。まあ、もったいない。カツラ屋に売ればよかったのに」「あれ皮膚病よ、きっと」

某月某日 毛のはえ始めは立ってしまって、自分の顔ながらなんとも様にならない。「タワシみたい」「ブルドッグみたい」「ドブネズミみたい」皆んな勝手な事を言う。

某月某日 帰りの中央線、ぼくの両サイドが空席だった。乗って来た若い女性が座ろうとして、ぼくに気がついた。彼女はとまどって前を通り過ぎると、扉の所に立っていた。ぼくの両側は空いたままだった。「ムショ帰りかしら、恐いわ、ヤーネ」「ムサ苦しいのいや、あっちで食べよ」「あの人いつもジーンズばっかりね。洗濯してんのかしら、ヤーネ。独身かしら、フケツね!」ジーンズは二本を一週間ずつ交互に洗濯、シーズン終るまでクリーニングに出してないスーツより余程セイケツですよ!

某月某日 「おっ、座頭市が本読んでる」鼻毛が伸びて、口ヒゲと連なってしまう。これだけは切ろう。ヘアーとヒゲを切ってしまった夢を見て飛び起きてしまった。こんな恐ろしい夢は初めてだ。久し振りに美人喫茶「エデン」へ行ったが、形変わればもて方変わる。全然もてない。寺島君がいうには、ぼくのヒゲは明治天皇型だそうだ。笠井君は仕事の合間に「ジージー、ジャリジャリ」とヒゲをあたる。しかし、これを見ているとどうも傍に居られなくて逃げ出してしまう。

某月某日 宣伝部の慰安旅行で熱海泊。まだ皆んな眠っているうちから一人飛び起きる。写真を撮る為に帰ると言っても誰も本気にしてくれない。「なんだ、仕事か」から「このヤロー、デイトする気だな」まで、ヤレヤレ。新幹線からタクシーを乗り継いで、どうやら撮影の時間に間に合う。一日でもルールを変えると意味がなくなってしまう。

某月某日 一流ホテルで小川君の結婚式があった。ヘアとヒゲは様になっていない。失礼にならないだろうか。かと言って切るわけにはいかない。お祝いは、心の問題で形ではないはずだ。いつものジーンズをスーツに着替えて出席。心の問題だとすれば、ジーンズでもいいはずではあったが……。夕食にハタハタが出る。骨っぽい魚である。ヒゲに骨がついて始末が悪い。「キスをする時はどうするのかね、かきわけてやるのか」忘年会の席で。

某月某日 夕食もせずに残業。帰りに以前にも時々行ったソバ屋へ入る。のれんをくぐると中より若い女性のどなる声「食券買ってよ!!食券買ってよ!」それ位は初めてではないから知っている。なにやらコジキでも見る如き冷たい眼差し。店のイメージダウンである。

某月某日 イラストレーターの友人と新宿。一本飲んだところで、裏で三味線の音。おやと振り向いた。すると若い男が近づいて来て「ガンつけたな! オレとやりたいのか」驚いた。「ガンもつけない、ケンカもしたくない」と答えると「気にくわない」といって急に殴りかかって来た。右手から血が出た。友人がとめる。何故、彼がぼくとケンカをしなくてはならないのかきかなくては、ぼくが納得できない。彼と話をすると、彼も最近までは長髪だったが、別にどうということなく短くした。長髪のぼくを見てムカッとしたらしい。馬鹿げている。情けない。

某月某日 雨がひどく降っている。渋谷から乗ったタクシーで、Uタウンを頼むと、できないよと力を入れて言う。不機嫌なようですねと言うと「ソーダ!」という。ぼくがこんな長髪だからですかときくと、又「ソーダ!」という。ぼくは彼に一年間の計画を打ち明けた。彼は機嫌よくUタウンしてくれた。彼はまだ若い男だった。人間のコミュ二ケーションとは何だろう。

某月某日 「あの人、アイヌ人よ、だって目を見れば分かるわ」何人でもいいけれども、ぼくはずっと南の宮古島の人間です。

一年三百六十五日、ツルツル頭にジーンズの、あるいは髪の毛、ヒゲがぼうぼうでジーンズの姿のぼくを見て、人々は勝手にぼくの中味を決めて微妙に変化を示した。ツルツル頭の坊さんを見ても笑わない人が、ぼくのツルツル頭を見て笑う。外観だけで「ムショ帰り」だと思われた。気にくわないと殴られたり、話も聞いてもらえないこともあった。しかし、その人々の中でもぼくの考えを話した人からは誤解を取り除く事が出来たし、他の人々ももっと別のコミュニケーションが出来ただろうと思う。人は外見しか見てくれぬのである。外見を見て、今までの、すなわち過去の社会通念や一般的な形式で勝手に中味を決めつけてしまう。人にはさま様々な生き方がある。一つの枠組みの中にいれられてしまうのは恐ろしいことである。他人の制約を受けない自身の生き方をもっと自由にすればよいと思う。ヘアーとかヒゲとか服装はその一つの自己表現であり、一つの試みだと思う。

昭和四十六年九月二十二日。一年間共に過ごした髪の毛、ヒゲと別れを告げた。理髪師が二人がかりで根元からカミソリで切り落したのである。今、ぼくの手元に三つのものが残った「右側頭」「左側頭」……というように各部分ごとに十数種の袋に収められた一年間の髪の毛とヒゲ。毎日毎日、同じ時・同じ所・恰好で撮ったフィルム。そして「額ブチだけが人生か」という言葉が。

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