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エッセイ

定点PRAYER

1981年8月1日 話の特集8月号掲載より

夜明けだ。
鳥籠のようなベランダに出る。羊のような雲たちが、左右に広がる丹沢連峰と仲良く遊んでいる。雲が形を変えるたびに山もそれに応じて形を変え続ける。睦まじい光景。
暗い部屋に戻りカメラを手に取る。籠の鳥が大空に飛びたとうとするように私はベランダの鉄柵に胸をぶつけて構える。ファインダーの下側のコンクリートの屋根とその左側の高圧線の鉄塔をトンボにしてシャッターを押す。二つのトンボは何十年かそこに在って私の定点撮影の目印になるだろう。
この地上に自分が生きて在るということの確認と証明と感謝で私は写真を撮り続ける。死んだらシャッターを押すこともできない。焼かれて雲の一部にはなれるだろう。が、今の私は雲になって撮られるよりも撮る側にいたい。UFOが現われるかも知れない。あの方が雲に乗って来られるかも知れない。楽しみである。ベランダの定点に立って私は毎日こう言う。
「きたりませ」
こんな夢を見た。
富士山が橙色の炎を吹き上げている。その上空には髪をなびかせて走る人間の頭のような雲が浮かんでいる。胴体はない。その左側には弾丸のような雲が浮かんでいる。その雲が富士山を直撃。富士山は粉々に飛び散る。恐くなる。少年の頃の沖縄の島での艦砲射撃を思い出させるからだ。あの時の私は石の下のくぼみにもぐってこう言ったのだった。
「母ちゃん、あしたになると、ここで死んでいるのか」
いつの間にか私のそばに白衣の男が立っている。柔和な表情だ。奇麗な目で私を見ている。その男がこう言う。
「祈る者は幸いです」
目を覚ます。見たばかりの夢を反芻する。(どうしてこんな夢を見るのだろうか。何か意味があるのだろうか)
分からないままベランダに出る。驚いたことに夢で見た通りの雲が富士山の上空に浮んでいる。不思議だ。戦慄この上ない。が、カメラを向けてシャッターを押すことはできた。
夢の続きを見た。
白衣の男がこう言う。
「あなたは正夢を見ました。正夢は夢の通りが事実に現われます。祈る者にはそれが与えられます。そのうちにあなたは神夢を見るでしょう。神夢は真理からの導きです。祈り続けなさい」
夢とはいえ富士山が木端微塵に砕けるのは望ましくない。それは日本の精神の高さではなかったのか。
白衣の男はこう言う。
「富士山を日本の象徴にして警告しました。貪欲に生きる人が多くなりました。精神の荒廃です。それは森をアスファルトやコンクリートに変えるようなものです。戦争と破滅への道です。このまま放任しますと日本はそうなります。そうならないためには祈り続けることです。あなたは貪婪な人々に祈るよう警告しなさい」
目が覚めた。
恥かしくてたまらない。私の信仰は浅いのだ。人々に警告できる柄ではない。ただ自分に対してはこう言い聞かせている。
「罪の対義は信仰である」
今朝も私はベランダに出る。そして大地や宇宙を考えながら私なりの定点PRAYER。
撮り始めてから十年なのだ。が・・・・・・

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