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エッセイ

魂の形象として

2005年11月3日 宮古新報社「島の彩」掲載より

「平和の礎」で両手を合わせ、黙祷してから私は、平和公園に足を運んだ。緑の芝生の中に一つの小さな白い花が咲いていた。その花に引き寄せられるようにして私は花に近づき、花を俯瞰する位置で足を止めた。一眼レフのカメラを花に向けてファインダーを覗くと、花びらが鳩の羽ばたきのように揺れた。額から耳のほうへ吹きぬけるやわらかい風が鳩の羽音のように聴こえた。覗くファインダーから目を離し、見上げる青い空に飛ぶ鳩は見当たらなかったが、空気を切り裂くように飛んで行くジェット機は見えた。騒音のジェット機を見送ると私は、深呼吸をしてから、カメラを花に向け、慎重に、シャッターを押した。
道端の草に交じって仲良く、目立つことなく、ひっそりと咲く花々を主題に写真に撮りながら、ゆっくり、歩く。(土に還った人々。土は精神)と考えながら静かに歩く。立ち止まる。道路を走る車に道を譲る。花を撮る。また歩く。沖縄の南部を一周する。
知念村の道端に茶屋の看板が立て掛けてある。営業時間は、一番星が出るまでとある。狭い道をしばらく歩き、サトウキビ畑のそばの茶屋の前に行くと、森山良子さんの歌が聴こえた。「サトウキビ畑」である。この茶屋で私は、風に揺すられるサトウキビと海の向こうの久高島を眺めながら一杯のコーヒーを飲んだ。
茶屋を出、来た道を引き返す。一匹の蛇が、道に輪を描くようにして死んでいる。車に轢かれたばかりだろうか、血が滲んでいる。斎場御嶽の近くである。
大地にゆったりと腰掛けて、空を見上げるように咲く花もあれば、東西南北を見守るように咲く花もある。蜂や蝶と戯れる花もあれば、大地を見守る花もある。それぞれ、世界で唯一の花たちである。
南部は沖縄地上戦の激戦地。住民の三人に一人が死んだ。この大地には、犠牲になった方々の血が、滲み込んでいる。この大地に、花が咲いている。
小石のように見えるのも、人間の骨かも知れない。以前「人間の骨です」と言って手を合わせた方は、長年にわたり骨を掘り続ける国吉勇さんであった。
亀甲墓を目のまえにして私は、大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波新書)で読んだことを思い出す。彼はこう書いた。
沖縄戦において、南部戦線にかりだされた夫の留守を、老いた義母と子供らをかかえて彼女ひとりが守らねばならない。空襲、砲撃をさけて彼女たちは一族の亀甲墓にかくれる。
《そうしたある日、突然アメリカ兵がやって来ました。おばあさんは、墓場からでるといきなり、トーシンドーイの歌をぶっつけて、「サンラー、イチァガスイラー(三郎どうする)ワラビンチァーモーレー(子供たちよ舞え)といって、畑のなかでトーシンドーイを舞い狂いました》
日本軍に戦火のなかで見棄てられ、そしてついに異様に強大な敵軍のまえに投降しなければならぬ、その絶体絶命の場所で、歌いつつ舞い狂う老女は、そのまま日本軍、米軍をともに拒絶しながら、沖縄の民衆としての自己表現にすべての情念を燃やしている人間である。―本土のどのような地方の方言によってであれ、子供たちよ舞え、と歌い叫びつつ、巨大な占領軍の武器のまえで舞い狂う老女を実際に想像できようか。それがおよそおこないがたい想像だとすれば、沖縄のこの無名の老女と、われわれの間には、容易にこえがたい裂け目が開いているのであり、その深い裂け目の向うで舞い狂っている老女によって、まずわれわれはしたたかに拒絶されていると認めるべきであろう。
日本軍が戦場に老女を見棄て、米軍が瓦礫の上で老女を降伏せしめた。しかしそのふたつの強権につながるもののいずれもが、そしてそれはいまやほかならぬわれわれが、ということにおいて今日の課題なのであるが、この老女から突き離され、見かぎられているのである。誰がこの舞い狂う老女を、真に屈伏せしめえよう?
大江健三郎氏、三十代の文章である。普遍的な問い。老女の魂。
私は、南部の花々を魂の形象として。

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