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エッセイ

骨は語る

2005年1月20日 宮古新報社「島の彩」掲載より

宮古の皆さん、こんにちは。
この欄で皆様方宛にお便りを書くことになりましたので、どうぞ宜しくお願い致します。六ヶ月間月一回第三水曜日です。まだまだ未熟な私で、どうなることかと気をもんでおりますが、至らないことが書いてありましたら、どうぞご指導してくださいますよう希望します。

「過去から学ぶ。現代よりも」と言ったのは、スティーブン・スピルバーグ監督、傑作映画「シンドラーのリスト」も彼の作品。私も、過去の戦争に無関心なら同じことの繰り返しであると考える。沖縄地上戦犠牲者の骨を四十余年間も掘り続けている方が沖縄に住むと本で知り深く感動した。この方の名は、国吉勇さん。
私は本の著者に国吉さんを紹介してもらい、骨掘の手伝いに沖縄へ飛んだ。学校は夏休み。昨年、八月のこと。
彼と私は、車で糸満の大里に行き、車を降りると、繋ぎの作業服に着替え、ハブ防止にと雨靴に履き替え、ヘルメットを被り、首にタオルを巻き、両手に手袋をはめ、片手に懐中電灯を持った。
二人で草むらの緩やかな斜面を登る。小さな墓の前で立ち止まり墓に向けて手を合わせた。
岩をくり貫きセメントで固めた墓。その墓の上に岩の狭い隙間が水平にあり、そこに懐中電灯を握ったまま両手を入れ、続いて頭を入れ、胴体を入れ、腹ばいで全身を左右に振り、両足は泳ぐ蛙の後ろ足の水蹴りのように空気を蹴り、雨靴の裏の柄を見せて次第に岩の間に溶けて行き見えなくなった。私も彼に続く。
ヘルメットが岩にぶつかる。砕かれた岩の欠片のサラサラ落ちる音。首のタオルと頭のヘルメットの間に落ちた岩の粒。痒いが掻けない首。腹を突く凹凸の金属のような岩。嗅ぎ慣れない匂い。息苦しい。目の前にかぶさるヘルメットが視界を遮(さえぎ)る。真っ暗だ。しかし、これから骨を掘るのだ。ハブは苦手だが、幽霊は怖くない。這う私。祈る宮古魂。
岩の隙間を抜けると携帯発電機によるライトが眩しく目を射す。立ち上がると目の前は絶壁の穴。高所恐怖症の私。よろける。背中を支える棘の岩。彼が穴の底から私を見上げている。ツルツル滑るであろう長いアルミの梯子(はしご)が私の足元から掘り場へと垂直に立てかけてある。足の裏がむず痒い。体の向きは梯子を背にしている。向き変更不可能。目を閉じたら進めない。
(六十年間も埋まる骨たち。掘り出しますので一緒に明るみへ出ましょう)
国吉さんが深い穴の底で両手を広げ、私が降りるのを見守っている。彼が積み上げてきた土砂の山に私は降り立ち穴の淵に足を踏み入れた、その時、国吉さんが叫ぶ。
「危ない。崩れる」
土砂は穴に流れ落ちたが、私は落ちなかった。落盤が起きていたら彼と私は万事休した。神に感謝する。ありがとう。
(沖縄地上戦では、火炎放射器で焼かれ、砲撃で生き埋めになった人は数知れない。落盤のこの壕にも深く掘れば骨があるかも知れない。生きていたかったのに生き埋めにされ、生きたまま火葬にされた人々の無念さはいかばかりであったろう。戦争を起こしたのは人間。人間が人間を殺した。一体人間とは命とは何であろう。命は自分で創ったのではないのだ。創り主に感謝するのが人間であり命であろう)と考えながら掘り続けていると、黒い塊が現れた。亀裂の入った鉄兜だった。
彼が小石のような欠片を手にしている。手袋で泥を払い懐中電灯を当てる。
「人間の骨だ」
骨ににじむほのかな白さ。暗闇での光明が過去と現代とを結ぶ瞬間でもあった。
幼い日の記憶が甦る。宮古島連日爆撃。満員の防空壕に爆弾命中。惨状。艦砲射撃。裏山に逃げた。
沖縄、広島、長崎の多くの民衆が犠牲になった。過去の戦争を忘却してはならない。
今もイラク戦争で多くの子供たちや女性たちの命が無残に奪われている。
過去から学び今を知る。
そして次の世代へつなぐ。
世界の人々が平和でありますように。

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